透明な嵐の中で

日々の雑多と、思考整理のために、その時の私の言葉でひたすら書きなぐるブログです。

「スキ!」を追いかけようと決めた①

今年の春、晴れて私は女子大生となった。

女子大生、華々しいキャンパスライフ、たくさんの友達、楽しいサークル、素敵な恋人…

そんな生活を夢見ていたけれど、

入学して少し経過してから「何か違う」と思い始めた。

そもそも、高校3年生から去年の私は「自分にとっての良い大学」を取るか「世間にとっての良い大学」を取るか決断できずにいた。

私は小さな頃から絵を描くことが大好きで(と言ってもここ最近はマンガ寄りのものしか描いていないけれど)

3歳の頃も、朝起きたらまず紙とペンを引っつかみ、一心不乱に描いてはご飯を食べて、その後もまた描いて…の繰り返し。

親が言うには、時たま映画やアニメを観ながら過ごしていたらしい。

今思えば最高に有意義で贅沢な生活だったと思う。

そんな私も、紆余曲折、時が流れて早18年。

夢見がちで空想好きな少女は、酸いも甘いも噛み分ける大人へと変貌してゆく頃。

高校3年の夏の日、担任の先生が配り、前の席の子が回してくれた「進路志望調査」の紙を前に私のシャープペンシルは止まっていた。

たった紙切れ1枚だが、私にはこの紙切れがどうしようもなく、心に重くのしかかってくる鉛の塊にしか思えなかったのだ。

進路。

専門学校に行くのであれば「専門的に学びたい事がある程度決まっていて、将来それを仕事にしたい」という気持ち。

大学に行くのであれば「将来的な仕事についてはゆっくり考えてゆき、ある程度掘り下げて勉強したい分野もある」という気持ち。

当時の私は「どちらか一方を選ぼう」という風に捉えていた。

だが、そこで大きな問題に直面する。

「私が将来やりたい仕事、勉強したいことって、なんだ?」

 

最初のうちは気楽に「昔から絵が好きだし、興味があるから美大に行こう」と決めていた。

関東に住んでいた私は、所謂五美大と呼ばれるうちの一つ、多摩美術大学の受験に向けて予備校でひたすら勉強をしていた。

けれど、そんな日々は長く続かなかった。

関西へ戻ることが決まったからだ。

 

元々、生まれは関東であり、幼年期の育ちも関東を転々とし、親が転勤族で何度も引越しを繰り返しては新しい土地に赴いた。

そんな中でも、関西は1番長く住んだ土地だった。

だが、方言の違いや、私の幼少期の性格が原因で人間関係で失敗した。

幼さとは時に残酷で、自分たちとは言葉が違う異質な存在である私はなかなか受け入れてもらえず、おまけに私はかなりの自信家であったのでクラスのリーダー格に目をつけられ、4年間もの間ひたすらいじめや、嫌がらせを受けていた。

今は「お互いに幼かったし、土地のせいじゃなく、環境が悪かったんだ」と思えるが、当時の私は視野が狭かったので関西がほとほと嫌になってしまった。

 

そんな渦中の中、必死に父親を説得し、無理を言ってまで母親と出てきた関東地方。

私にとっては救いの手を差し伸べられたような場所であり、絶対に離れてやるものか、と意気込んでいた。

そんな中で母から告げられた

「関西へ戻る」

の一言は、当時の私にとって無期懲役、死刑宣告のようなものだった。